鯨鯢過去帖

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県指定有形民俗文化財「鯨鯢過去帖」

鯨鯢過去帖は、一幅が23.8センチメートルの三十四折からなり、全長671.7センチメートルの折帳で、表裏の扉は黒塗の板を張り付けてあります。 表板には「鯨鯢過去帖」と墨書きした金色紙を添付し、本紙は銀色紙に裏打ちをして、 享保四年(1719)から天保八年(1837)の約120年にわたって、人間と同じように捕獲した母子の鯨に、 例えば「鯨誉大音」「正誉鯨覚」などという戒名をつけ、鯨の種類、捕獲した場所、捕獲した組名を年月日順に記録しています。
この過去帳は、全四巻あったと思われますが、指定されているものは第二巻に相当するものです。第一巻は欠失し、 第三・四巻相当のものは昭和になってからの写しです。

これら鯨位牌、鯨鯢過去帖とともに、向岸寺五世讃誉上人が隠居して清月庵に観音堂を建立して鯨の回向を始めた時、鯨墓と一体のものとして作られたもので、 以前は観音堂にあったものが、現在は向岸寺に安置されています。

まず、鯨鯢過去帖ですが、現存しているものは三冊のみです。第三巻・第四巻といわれているものの表紙は次のように書かれています。 「鯨鯢回向簿第三――清月庵」もう一冊は「弘化二巳年ヨリ――鯨鯢群類過去帳――観音堂」と記載されています。
この過去帖に記載されている鯨について、いろいろな意見があります。胎児も記載されているという意見の人もいます。前向岸寺の小松住職によると、 鯨の胎児は、人間と同じく水子である。従って水子には、戒名を付けない。胎児は鯨墓に祭ってあるだけである。 浄土宗では,最高の院号は「誉」であり、これは、「五重相伝」という儀式があります。お寺に5日間修養したものに与えるものです。鯨の大人には、 この「誉」の一文字を四文字の戒名の二字目に記しています。子鯨には四文字の戒名になっています。
現存している、第二巻の過去帖によれば、記載されている年月は、享和二年(1802)〜天保十三年(1842)の40年間であり、 戒名の付された鯨の数は、243頭です。日別の戒名頭数は次の通りです。

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他の二冊については、弘化元年、(1844)〜嘉永四年(1851)と昭和二年に記されています。 弘化以後は、烏田隆造上人(31世)が関与していると思われます。

鯨鯢過去帖は世界でここしかありません、誇るべき日本の精神、食文化の宝です。
鯨鯢過去帖は経年による破損も甚だしく、現在は厳重に保管されて見ることはできませんでしたが、 2007年12月06日金子みすゞ顕彰会によりレプリカが作製、贈呈されたことで貴重な文化財を人目にさらさず保管することができ、 レプリカにより貴重な資料に目を通すことができます。
なお、このレプリカは常設展示ではありません。